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礼拝説教「相応しい祝福」創世記49章1〜10節(49章)
 

序.

創世記を去年の春から学び始めて、とうとう最後の部分にやってまいりました。この49章は全体の結論とも言うべき部分です。50章はエピローグと呼ばれる、いわばおまけですが、この49章は重要な箇所です。それはヤコブの遺言です。旧約聖書、新約聖書のことを英語ではオールド・テスタメント、ニュー・テスタメント、と呼びますが、このテスタメントとは契約という意味と共に、遺言という意味もあります。遺言は、ある人の死に関わりますが、死んでお終いなのではなく、その言葉が後の人に影響を与える、大切な約束となっています。12章のアブラハムへの約束に始まった一家の歴史は、ヤコブを通して語られた神の約束によって完結し、そして新しい歴史、旧約聖書のイスラエル民族の歴史への出発につながっています。さらに、まだおぼろげですが、イエス・キリストの預言でもあります。創世記と旧約聖書・新約聖書を結ぶ橋渡しとなっているのが、ヤコブの遺言です。

前置きが長くなりましたが、ヤコブは息子たち一人一人に祝福の言葉を残しました。それは天地創造の時、全ての人類に神様の祝福が与えられたのと同じです。今、私たちにも神様の祝福が与えられています。どのような祝福なのでしょうか。今朝は「相応しい祝福」というタイトルでメッセージを取り次がせていただきます。いつものように、三つのポイントに分けてお話しを進めてまいります。第一に「行いに相応しい祝福」、第二に「信仰に相応しい祝福」、第三に「キリストによる祝福」という順序です。

1.行いに相応しい祝福

3節から、ヤコブは12人の息子の名を一人一人呼びながら、それぞれへの祝福の言葉を語っています。それは、彼らの、それぞれの行いに応じた祝福であったことが分かります。個々がしてきたことに応じて、ある者は多くの祝福の言葉を、ある者は少ない祝福の言葉を、そしてある者は、祝福とは思えない、呪いとも言うべき言葉を受けています。3節のルベンはヤコブの長男でしたが、ヤコブの四人の妻の一人と肉体的な関係を持つという罪を犯した。その故に彼は長男としての特権を失っています。この時は、まだ律法という法律が出来る前でしたから、法律違反ということではないのですが、それでも、当時の考え方でも、父の妻を奪うのは、父の権威を汚すことです。そのような事をした者は、父の権威を受け継ぐことは出来ないのです。次男と三男のシメオンとレビは、残虐な事件を起こしました。一つの町を全滅させたことで、ヤコブの立場を悪くしてしまいました。父の面子をつぶす行為は、やはり長男の権利を受け継ぐに相応しくありません、ので、長男の権利は四男のユダに移ることになります。シメオンとレビはあからさまな非難と、呪いの言葉を受けています。それは、彼らの子孫は散らされて、ちりぢりバラバラになるという言葉です。

一番、良い遺言、良い祝福を受けたのは、ヨセフとユダでした。一番長い祝福の言葉を受けています。なぜでしょうか。この二人に共通するのは、ヤコブ一家を救った働きです。ヨセフは、エジプト大臣として、物質的に一家を救いました。それゆえ、彼への祝福、22節以降にありますので、後でゆっくりお読み下さい。というと今、読みたくなるでしょう。そこには、ヨセフへの祝福として具体的な繁栄が語られています。ユダは、エジプト行きに関して、末息子のベニヤミンを連れて行くことで、父を説得した。それによって一家は助かります。その時の、ユダの自己犠牲の言葉が、彼を一家の新しいリーダーとしました。ですから、ユダへの祝福は指導者となる約束です。まさに、行いに相応しい祝福でした。

この遺言は、しかし、個々人のことだけに留まりません。この後の歴史で、イスラエル民族、12部族それぞれの歴史がどうなっていくかの、いわば予告、あるいは預言となっています。神様がヤコブの遺言を通して、語られた祝福の預言なのです。ルベンの子孫であるルベン族は、早く土地が欲しいという欲望に負けたため、イスラエル全体においては端っこの方に位置するようになり、やがて衰退して行きます。レビとシメオンは確かに、他の部族と違ってまとまった領土を持てずに、各部族の中に分散するようになります。ヨセフとユダは、それぞれ北と南の有力な部族となり、ヨセフの子孫である、エフライム族とマナセ族は、肥沃な土地を与えられ、物質的に祝福されます。ユダ族は、ダビデ王家を輩出し、まさに10節の「王権はユダを離れず」という言葉が成就します。

では、ヤコブの遺言は、行いによって受ける結果が決まる、因果応報ということを教えているのでしょうか。そうではなく、彼らの生き方がそれに相応しい実を結ばせるのです。良い種を蒔いた者は良い結果を受けるのです。悪い種は悪い実を結ばせます。シメオンとレビのように、残虐な生き方は周りから敬遠され、祝福を失います。欲望によって生きたルベンは、しっかりとした将来を築くことは出来ません。他者を助ける生き方は周りから感謝され、繁栄するのです。神様は人間に対し、悪を離れ正しい生き方、愛による生き方をすることを求めておられます。その神に御心に従う生き方をするなら、神に祝福が豊かに与えられることは当然の結果とも言えます。

行いなんかどうでも良い、好き勝手な生き方をしていても、神様は祝福してくださる、とは聖書は教えていません。ヤコブの手紙はそのことを明確に告げています。その意味で、神様からの祝福は行いと生き方に相応しいものが与えられるのです。しかし、私たちは誰もが完璧な生き方、失敗のない行いは出来ません。ユダもヨセフも失敗をします。ですから、行いによって全てが決まるなら、最後は誰もが祝福を失うときが来ます。しかし、神様は異なる面から評価してくださいます。それは信仰による祝福、信仰による救いです。

2.信仰に相応しい祝福

シメオンとレビは、その子孫が歴史の中で散らされるようになることを、先ほどもお話ししました。二人はここで一緒に扱われています。しかし、その後の歴史を見ていきますと、二つの部族は異なる歩みをしています。レビ族は、出エジプトの時に、神様の命令に率先して、熱心に従いました。その故に、彼らは、聖別され、神のものとされました。具体的には、祭司一族がレビ族から生まれ、他のレビ族も、祭司と一緒に神に仕える役目を与えられました。その特権が与えられた代わりに、彼らは自分の土地を持つことが禁止され、他の部族の町々に分散して住むことになったのです。確かに散らされました。しかし、これは呪いでは無くなりました。なぜなら、レビ族の人々は礼拝の方法や清い生き方を訓練されましたから、レビ族が町に住むことで、その地域の人は御心に適った生き方、行いを学ぶことができ、その結果、地域の人々が神に祝福されるようになる。まさに祝福の基としての役目を果たすことが出来たのです。

それに対し、シメオン族は、民数記というところを読みますと、彼らは神様に従わないで、率先して偶像礼拝と姦淫の罪を犯し、その結果、人数が激減します。勢力が小さくなった彼らは、ユダ族の領域の中に散らされ、やがて吸収されていきます。その意味では確かに呪いです。しかし、何が幸いするか分かりません。ユダ族と共にいたおかげで、彼らは北王国滅亡に巻き込まれず、生き残ることが出来ました。

他の部族に関しては、短い記述ですが、それぞれ良い面と悪い面があります。一つの例として、20節。

アシェルには、その食物が豊かになり、彼は王のごちそうを作り出す。

アシェル族は、豊かな食物が約束されています。これは祝福と言えましょう。しかし、彼らの収穫は王様に拠出されます。つまり彼らの子孫は王となるのではなく、他の部族の王に支配されることにもつながります。最後のベニヤミン、27節。

ベニヤミンはかみ裂く狼。朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける。

ベニヤミン族は、そのオオカミのような獰猛性の故に、やがて自らを滅ぼす一歩手前まで行ってしまいます。その面では呪いですが、今度は勇敢さの上に最初の王はベニヤミン族から選ばれます。

一人一人に与えられる約束、祝福の言葉は異なります。他者と比べるなら、不公平に思えるかもしれません。しかし、与えられたものを感謝をもって受け止め、信仰によって歩むなら、特に祝福を与えてくださる神様を信頼して従うなら、不利に思えることが生かされて用いられるのです。祝福だと思えないことがあっても、それを神からの恵みだと受け止め、信仰によって生きるとき、神様はそれを祝福に変えてくださることが出来るのです。逆に、多くの祝福を受け、繁栄したとしても、信仰を失い、神様の恵みに感謝しないなら、その繁栄が罠となり、堕落や滅亡に結びつきます。良い土地を受けた部族は、その土地の故に外国から狙われ、早く滅びます。その背後には、外国の影響を受けて偶像崇拝に走った罪があります。

私たちも、神様から多くのものをいただいています。時には、祝福とは思えないこともあるでしょう。そんなとき、何故私だけがこんな目に遭うのかと不満に思っても、決して良い結果になりません。他者と比べても、祝福にはなりません。与えられたものを信仰を持って受け止めるとき、神様が全てを祝福にし、感謝としてくださるのです。パウロの肉体的弱さに対し、神様は「わが恵み汝に足れり」と語ってくださいました。臆病者だったギデオンは大勇士として用いられました。一番不利な土地を割り振られたユダ族が、一番最後まで生き延び、現代まで続いています。与えてくださる神様を信頼し、信仰をもって神様に従うなら、神様が用いてくださるのですから、有利な条件も不利な条件も、全能の神様にあっては、全てを祝福の道具とすることが出来る。信仰によって祝福は変わるのです。

3.キリストによる祝福

さて、ヤコブの遺言は、他の章とは違う書き方をしていることにお気づきでしょうか。下の方に余白が多い、いわゆる詩文の形式で書かれています。詩で書いたのは、恐らく憶えやすいからでしょう。ところが詩文というのは、普通とは違う表現や特殊な単語を用います。日本の詩である俳句や短歌や川柳もそうです。そのため、時には意味が分かりにくい場合もあります。この遺言では、10節がそうです。

王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。

ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。

ここに出てくる「王権」という言葉は、必ずしも王様だけでなく、一族の権威のしるしでもありますので、王がいない時代でも、ユダ族は他の部族の支配下に入らず、独立を保つ意味でもあります。その意味では歴史の大部分の時期に、この遺言は当てはまります。ところが、後半の「シロ」が問題です。人名とも、地名とも考えることが出来ますが、地名のシロという町は後の時代に登場しますが、ユダ族とは何の関係もありません。では、「シロ」という名前の人かというと、該当者がいません。しかし、誰かが来るのです。この節は、前半と後半が結びついていて、前半の王権や杖が離れることのないのは、「シロ」が来るまでだ、と読むことができます。ですから、「シロ」が来たときに、王権がユダから離れる、という可能性もあります。しかし、この「シロ」にはユダ族や他のイスラエルの部族だけでなく、諸国民まで従うようになる、世界の王、最終的な王だということです。

この「シロ」の正確な意味に関しては、これからも研究され、いつか分かる時が来ると期待していますが、今の所は不明な言葉です。しかし、この遺言の言葉は、確かに成就します。それは、真の王である救い主がユダ族から誕生することによってです。そのお方が来られたとき、ヤコブの遺言は成就し、新しい遺言の時代が始まります。それがニュー・テスタメント、新しい遺言、新しい契約の時代です。それは、ヤコブの子孫、イスラエル民族だけでなく、アブラハムに神様が約束されたように、世界の全ての人が受けることの出来る祝福です。それは恵みによる祝福、キリストの贖いによる救いの祝福です。

新約の祝福は、行いではなく信仰による救いと言われます。さらに、その信仰も、人間が一所懸命に信じるという、人間の信仰ではなく、神の恵みに信頼する信仰、神からの信仰です。ですから、全てが神の恵みとして与えられるものです。イエス・キリストの十字架を信じるとき、行いにおいても信仰においても、祝福を受けるには相応しくない、むしろ罪の故に呪いを受けても文句は言えない、そんな私たちが、神様の祝福をいただくことができ、それは「シロ」が来るまで、という期間限定ではなく、天国へと続く永遠の祝福なのです。十字架による救いこそ、繁栄よりも権威よりも、他の何にも勝る、最高の祝福です。それが私たちに与えられていることを憶え、心から感謝を捧げましょう。

まとめ.

ヤコブの遺言を見て、確かに彼がヨセフを溺愛していたことも、ヨセフへの祝福につながっていると感じる方もおられるかも知れません。しかし、ヨセフがいなかったときにベニヤミンを大切にしたことを思うと、ベニヤミンへの言葉は素っ気ないようです。やはり、ヤコブは一人一人の生き方を見た上で遺言を考えたのであり、また28節で言っていますように、「おのおのにふさわしい祝福を与えた」のです。父として、一族の長として、単なる依怙贔屓ではなく、一人一人への愛をヤコブは持っていました。愛の故に厳しい事を言うこともあります。その厳しさを正しく受け止め、悪い生き方を離れるなら、その後の歴史は変わってきます。ヤコブはそのことも期待して、一人一人への言葉を用意したのです。そこに彼の愛を感じます。

神様は、私たちへのテスタメントとして聖書を与えてくださいました。それを読むなら、聖書のどこを見ても神の愛を知ることが出来ます。ある場所では厳しい言葉を通して愛が示されています。しかし、最高の愛、最高の祝福は、イエス・キリストが与えられたことです。これこそ、最高の贈り物です。今年もクリスマス、沢山の恵みをいただきましょう。受洗の恵みは、受けられる方にも、また教会員として歓迎する私たちにも、大きな祝福です。コンサートやキャンドルサービスを通して、新しい方が教会に来られることも祝福です。今年は電飾が増えて、十字架が付いたことも祝福です。是非、夜、見に来てください。24日が良いです。キャンドルサービスのコマーシャルでした。沢山の祝福を神様はお一人お一人に、それぞれに相応しく与えてくださいます。しかし、全員に、最高の祝福が与えられた、イエス様ご自身が与えられたことを心から感謝しましょう。そして、与えてくださったお方に感謝を表しましょう。そして、喜びを持って主に仕え、感謝に満ちたクリスマスを迎えましょう。

 

(c)千代崎備道

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