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礼拝説教「神に栄光」ルカ2章10〜14節(1〜20節)
 

序.

新約聖書の四つの福音書は、それぞれが違った角度からキリストを描いていることは、以前にも少しお話しました。クリスマスに関して、四つを比べると大変面白いのですが、今朝は、それをお話しするのには少し時間が足りません。一つだけ、それはクリスマスの出来事を四つの方法で伝えている、ということです。それぞれの福音書の記者たちが、伝えたいことがあって、他とは違う描き方をしています。ルカの福音書には、ルカの福音書の伝えたいことがあるのです。今朝は、ルカが伝えたかったこと、すなわちクリスマスとは神様の栄光である、ということをお話いたします。

(いつものように三つのポイントに分けてお話しします。第一に「クリスマスの知らせ」、第二に「クリスマスの栄光」、そして第三に「クリスマスの平和」という順序でお話しいたします。)

1.クリスマスの知らせ(1〜12節)

クリスマスは、イエス・キリストの誕生です。イエス様の誕生については、ルカの福音書では2章の1節から7節に書かれております。ですから、クリスマスの出来事を伝えるだけなら、もう用事は済んでいるのです。しかし、8節から天使が知らせを伝えた、という不思議な事が書かれています。なぜでしょうか。神様という方は、聖書を読んでいて感じますのは、人間に語りかけられるお方だということです。神様は存在するか、どうか、なんてことを聖書は伝えておりません。神様は世界を造ったお方であり、存在の根源です。しかし、ただ存在しているだけで、何も語られないお方ではなく、ご自分のことを人間に知らせられる、難しい言葉では「啓示の神」ということです。

クリスマスにおいても、ただ、救い主が誕生した、だけで終わらずに、そのことを誰かに知らせようとされました。最初に選ばれたのが羊飼いたちでした。ルカの描いたクリスマスには、三回、天使の御告げがあります。最初はザカリヤ、二番目にマリヤ、そして三番目が羊飼い。それは、様々な立場の人に伝えるため、最期には聖書を通して私たちにも知らせるためです。何を知らせようとされたのでしょうか。10節です。

10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

素晴らしい知らせ、それは、あなたがたのため、私たちのための救い主、ということです。私のためなのに知らなかったとするなら、もったいないではありませんか。神様は、全ての人に知らせるために、一番貧しく、社会的にも弱者である羊飼いたちに知らせたのです。せっかく知らせてくださったニュースです。よーく、聞いてみようではありませんか。

2.クリスマスの栄光(13〜14節)

天使の知らせの内容と共に、羊飼いたちを驚かせたのは、天使の大軍勢が現れて、神様を賛美したことです。素晴らしい合唱だったのではないでしょうか。でも、なぜ彼らは賛美をささげたのでしょうか。

今朝の礼拝では特別賛美が捧げられます。先ほどはハンドベルの美しい調べを聞かせていただきました。後でオルガンによる賛美もあります。どうして、礼拝で賛美を捧げるのでしょうか。賛美は決して添え物や飾りではありません。大切な意義をもっています。それは礼拝の重要な要素です。聖書においても賛美や詩は重要な意味を持っています。

天使は何を告げたでしょうか。10節から12節は、クリスマスの事実を伝えています。救い主が生まれたこと、飼い葉おけに寝ていること、などです。それに対し、天使の賛美、14節は、クリスマスの意味を伝えているのです。天使の合唱に関しては、イエス様が、罪人が救われたとき天では天使たちが大喜びをしている、と語られました。救い主が誕生し、これから多くの人が救われることを喜んでの賛美です。また、全世界の王であるお方の誕生です。有名なメサイヤのハレルヤコーラスで、王様がキリストへの敬意を示して立ち上がったそうですが、天使も全軍が賛美を捧げて御子の誕生を祝った、ということもあるでしょう。しかし、一番大切なのは、この出来事が「神の栄光」である、ということです。「いと高き所に、栄光が、神にあるように」、「グロリアインエクセルシスデオ」です。

私たちは神様の栄光と言うと、真っ先に考えますのは、大自然の素晴らしさです。確かに自然界の大きさや美しさは、創造主の栄光を現しています。しかし、それ以上の栄光がクリスマスです。天使は「神に栄光、地に平和」と歌いました。これは旧約聖書ではよく使う言い回しで、神の栄光とは地の平和だということです。地の平和とは何でしょうか。それは、争いや苦しみ満ちた地上に、平和、シャロームという言葉ですが、それは戦争が無い平和、という意味だけでなく、全ての良いものが充ち満ちている様子です。それは、人間同士が争いをやめる以上のことです。人間は神様に逆らって生きています。それが罪です。罪の故に人間同士の争いも起こります。ですから、まず神様との平和が必要です。それが救いです。クリスマス、救い主の誕生、それは、これから救いが始まることです。この救いの働きこそ、神様の栄光なのです。父なる神様が計画し、御子なる神であるキリストを人間としてこの世に送りました。このお方が人間として歩むために、誕生の時も、生涯においても、聖霊なる神が働かれました。つまり三位一体の神様が全力を尽くして行った、神様にとっては最大の業、それがクリスマスなのです。

神様は、私たちを救うことを、栄光だと考えてくださるのです。罪人を救うことを、面倒な、イヤな仕事ではなく、最高の働きと思ってくださる。救いは喜びであり、栄光なのです。今朝は洗礼式があります。教会全体にとっても大きな喜びですが、天においても天使が大歓声をあげているのです。

3.クリスマスの平和(14節後半)

この栄光が天使の合唱で終わらず、この栄光ある救いが、私たちの救いとなるために、必要なことがあります。キリストは神様からの平和の使者です。平和の申し出を受け入れなかったら、平和は実現しません。

戦争の時に、クリスマスくらいは戦いを止める、クリスマス休戦という言葉があります。これは昔からあったことではないようです。1914年、第一次世界大戦。ヨーロッパ中が戦場となる、悲惨な出来事は多くの人の心に深い傷を与えました。このとき、ローマ教皇が停戦を呼びかけたのですが、戦いに夢中になった人々は耳を貸さなかったのです。その12月のこと、ベルギーで戦っていたドイツ軍とイギリス軍、ある夜のことでした。イギリス軍の兵士たちに、敵軍の陣地から歌声が聞こえてきました。それはクリスマスキャロル、おそらく有名な『聖しこの夜』でしょう。ドイツ語の歌詞です。それを聞いた兵士たちは、英語の歌詞で歌い返しました。いくつもの賛美の後、それぞれの兵士たちは武器を置いて歩み寄り、お菓子やたばこをクリスマスプレゼントとして贈り合ったそうです。それから数日間、平和が続きました。平和を破ったのは、本国の上層部でした。敵と仲良くするなんてけしからん、とすぐに戦う命令を下したのです。

この戦いで、神様の御心を行ったのは、誰だったでしょうか。上司よりも、本当の王であるお方、キリストに従った人々こそ、神様の御心にかなう人だったのではないでしょうか。天使は、「御心にかなう人々に平和があるように」と歌いました。それは、御心に従わないなら、人間は平和を壊してしまうからです。

神様の御心は何でしょうか。それは、神様からの平和の申し出を受け入れることです。罪人を赦すために御子を送って下さった。平和の使者です。だから、私たちも神様の前に進み出て、神様に逆らうことをやめ、真の王に従うことです。イエス様は、神の御心を行うとは、神が遣わされた救い主を信じ、受け入れることだと教えました。ヨハネの福音書はこのように言っています。

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

神の子とは平和を作り出す人です。救い主を信じ、神との平和をいただいた人が、地の平和を作り出すのです。詩篇の中に、「主は地の果てまでも戦いをやめさせ」と書かれています。世界中が平和になるなんて、今は不可能のように思われます。しかし、イエス様の救いが世界に広まったとき、神様が本当の平和をうち立ててくださる。それこそ、神の栄光が現される時なのです。

まとめ.

私たちは様々な問題や争いに囲まれています。誰かが悪い、ではなくて、自分自身が原因かもしれない。そんな私たちが本当の平和を得るのは、神様の平和をいただくこと、それが救いです。そして、私たちが真の平和に生きるようになることが神様の栄光なのです。この素晴らしい知らせ、救いの知らせを、多くの人に伝えるために、私たちも用いていただきましょう。

 

(c)千代崎備道

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